by turehana
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2013年4月4日0時10分。 夫が永眠しました。42歳でした。 一昨年の9月、「最近、胃が痛いんだよね」と行った先の病院で、 「スキルス胃がん」と診断されました。 比較的若い人がなりやすいがんで、発病が見つかりづらく、 「見つかった時点で8割の人が末期」という特殊な胃がんです。 奇跡的に胃を全摘出できた場合でも、5年生存率は20%以下。 夫は、すでに転移があったため手術は一切できず、 「余命は平均で1年半」と主治医から告知されました。 -------------------------------- 私が夫と知り合ったのは、今から4年半ほど前のこと。 渋谷の激シブ居酒屋「さつま屋」で呑み、 初めて会ったその日に「ハナコさんと結婚したい!」と言われました。 その時は「はぁ?」と思っていたのに、半年後には入籍していて我ながら驚いた…。 タコ刺しとホッピーとドラムと、 なにより私のことが大好きな人でした。 「ハナちゃん、愛してるよー」が口ぐせで、 料理をつくるたび「こんなにおいしいものは初めて食べた」と大絶賛。 新しいピアスでもつけようものなら 「ステキだなあ。皆が振り返るね!」とオーバーにほめちぎる。 そのラテンぶりはあきれるほどでしたが、 ひねくれものの私は、その屈託のなさが好きでした。 ただ、結婚後は彼の仕事が極端に忙しくなり、すれちがいの生活。 一緒に呑み歩いたり、家で食事をする機会は激減していました。 当時、私の料理を食べてくれるのはお弁当だけだったから、 あれほど毎日、せっせとお弁当をつくれたのだと思います。 私は、夫がいない毎日を、友人たちと飲み食い歩いて過ごしました。 もちろん、私自身とても楽しかったし、 夫も「ハナちゃんが楽しければうれしいよ」と大賛成。 私がおいしい店を見つけ、たまの休みに一緒に行ければいいよね、と。 病気がわかって彼が休職してからは、たくさんの料理をつくりました。 抗がん剤の副作用もほとんどなく、胃がんとは思えないほど食欲旺盛だったので、 病人食には見えないメニューばかり作っていたような気がするなあ。 だんだん病状が進んで固形物が食べられなくなってからも、 「食卓がさびしいのは嫌だから、食べなくても2人分つくって」と言っていたのが、 食いしん坊の彼らしかった。 去年の7月には「抗がん剤が非常に良く効いている」とのことで、 できないと言われていた胃の全摘出手術を受けるために再入院。 でも、手術開始後すぐ別の転移が見つかり、何もできずに手術を終えました。 そのとき主治医から伝えられたのは、 「今年の秋までが目標」との3カ月の余命宣告。 秋には、新たに打ち始めた別の抗がん剤の副作用で、髪など全身の毛が抜けて食欲も激減。 もともと細身の人なのに、体重も20kg近く減ってしまいました。 さらに、今年1月に再々入院してからは、本当にしんどかったと思う。 身体には3本のチューブが入り、吐き気とだるさに1日中悩まされる毎日。 その姿があまりに酷で、 なんでこの人が、こんなに苦しまなくてはいけないんだろう。 どうしてだろう。 神様、まだこの人42歳だよー。 そう何度も思いました。 病室のベッドで寝ている夫に、 「私の強運をたくさんわけてあげるから、絶対良くなるよ!」と言い続け、 そんなことが本当にできればいいのにと心の底から願った。 あーあ。 仕事が落ち着いたら、たくさん呑みに行こうって言ってたのになあ。 あんきもだって、遊んでくれる人がいないとつまんないよ。 1人の食事じゃ、はりきって料理する気にならなくて困るんですけど。 でもきっと、 「ごめんごめん。ハナちゃん、愛してるから許してー」って言うんだろうな。 亡くなる3週間前にはホスピスを退院し、自宅で看護しながら過ごしました。 ぎりぎり間に合ったお花見で、車椅子を押しながら話していたのは、 「あの世には、新宿みたいに店が集まる賑やかな場所があるらしいから、 先に行ったら、いい飲み屋を探しておいてよ」なんて話。 今ごろは、久しぶりに呑みまくってるといいな。お酒が大好きな人だったから。 彼がいなくなって、まだ10日。 ずっと覚悟してきたこととはいえ、 言いようのない哀しみで押しつぶされそうになる時も当然あります。 でも、同じように伴侶を亡くす経験をした友人が言ってくれた、 「死んじゃうのって、全て終わりだとは思わない。 身体はなくなってしまったけど、一緒に生きてると思ってる」という言葉で、 なんとなく心が落ち着いた。 うん、そうだね。 これから私も、そう思いながら生きることにします。 いつまでもメソメソしてゴハンを食べないと、夫も心配するだろうしさー。 というわけで、ゆっくりとですが復活していくはず。 友人の皆さま、供養だと思ってジャンバリ呑み食いしましょう。 そうそう。 看護のために仕事量を調整してくれた私の勤務先 (普通の会社ではありえないくらい、ご協力いただきました…)と、 彼を励まし続けてくれた彼の友人たち、私の両家族にも心から感謝します。 ほとんど弱音を吐かない夫の強靭な精神力は、皆の励ましがあってこそだったと思う。 ツイッターも、私が叫びたくなるほどツラいときに逃避できるありがたい場所でした。 あれがなかったら、なかなかしんどかったかもね。 さー、いい加減、ブログの続きも書くぞーっ!(いやホントに!) *自宅看護のことについても日記に書きました。 やってみないとわからないことがたくさんあった経験だったので、 どなたかのお役にたつとよいな。 2013年4月13日 ハナコ
by turehana
| 2013-04-13 15:20
| ツレヅレハナコとは?
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